當町氏神郷社津賀田神
社ニ於ケル秋季大祭ニ際シ自 (於は手偏)
往昔神慮ヲ可奉村氏擧ツ
テ山車ヲ社頭ニ曳進ス其車
上ニ於テ惠比須大黒ノ二柱ヲ
始メ其他ノ偶人樂ニ應シテ
舞フ就中唐子舞踊ノ曲矢
車ヲ弘化年間松四郎氏ア
ラタニ新車ト称スル笛譜ヲ作
曲セラレ夫レニ對スル太鼓ノ曲ハ是
レ亦弥三郎新吉氏等ニヨリ
テ案出セラレ衆ヲシテ驚嘆
措ク能ハサラシメ爾今々日ニ傳
フ之レ氏等カ功績偉大ナリ若
シ夫レ斯クアラサレハ爭カ此
名曲ヲ得ン依而茲ニ銘ヲ
録シ碑ヲ建設シ以テ悠
久ニ称フ 爾云 |
この町の氏神様である津賀田神社で行われる秋季大祭の時に、昔から神様に奉納するために村人はこぞって山車を神社の前に引き出しました。
その山車の上では、恵比須大黒の2つの人形を始め、いろいろな人形が音楽に合わせて舞いました。
その中の唐子人形の舞の曲である矢車から、弘化年間(1844〜1848)に、松四郎氏が新たに新車という名前の笛の曲を作曲し、それに対する太鼓は弥三郎新吉氏らが案出し・A人々はとてもびっくりしました。
今日までこの曲が伝わっているのは、彼らの功績が偉大だったからで、もしそのようなことが無かったら、この名曲はここに無かったでしょう。そのため、ここに銘文を入れた石碑を建てて、永久に称えます。
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