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熱田太々神楽の神楽歌と採り物 |
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◆ はじめに 太々神楽は日本中のあちこちにあり、その多くは古事記や日本書紀に書かれている天の岩戸の物語をモチーフとした、仮面劇のようなものです。仮面劇は、獅子舞や大道芸などと同じく娯楽性が高く、見ていても分かりやすいです。しかし、熱田の太々神楽は、天の岩戸の物語をモチーフとはしていることは確かですが、採り物舞・能舞を主体としており、格調は高いものの、見ているだけではそのストーリーは分かりにくいです。 ただ、熱田の太々神楽には、舞ごとに神楽歌が付いており、物語の情景描写をしています。このページでは、神楽歌と採り物から、それぞれの舞が、物語のどの場面を表現しているか、見てゆきたいと思います。 ◆ 神楽歌の資料 手元にある熱田太々神楽の神楽歌の資料は以下の9つありますが、わずかな差異を除いて、歌詞はほぼ同じです。また、「唱楽」という文字ですが、熱田・笠寺の人は、唱の文字にシメスヘンにツクリが昌の文字を使っています。普通の漢字には無いので、このHPでは「唱」で代用しています。 1.熱田太々神楽御唱楽歌 (寛政9年(1797)9月、鏡味貞徳、笠寺保存会に伝わっているもの) 2.熱田太々御唱楽歌 (昭和10年11月、熱田神宮御遷座記念、笠寺保存会に伝わっているもの) 3.熱田太々御唱楽歌 (荒川関三郎氏のもの、時代不詳、昭和の中頃か、笠寺保存会) 4.熱田神楽の由来沿革と太々神楽の起源及び曲譜舞振り (荒川鋭雄書、 昭和44年4月、笠寺保存会) 5.現在使われているもの (浜野司氏の書いた・烽フ、現在の笠寺保存会で使用中) 6.張州雑志(1770〜1778)に書かれている、享保17年(1733)3月28日の太々神楽の式次第 7.神楽研究 (西角井正慶著、昭和5年、P139〜、熱田宮略記(著作年代不詳写本)が元になっている) 8.知多西部地方の太々神楽のついて (愛知県神社庁知西支部) 9.真清田神社史 (P938〜、第三節 太々神楽・駒牽神事と神楽始祭) ◆ 天の岩戸の物語 (古事記をベースに、古語拾遺などに書かれている部分を追加) 天照大神と、二番目の弟の月読命とは、父である伊弉諾神の命令で、それぞれ天の国と夜の国とを平和に治めていました。ところが、一番下の弟の須佐之男命は、海の国を治めることになっていたのに何もせず、大人になっても乱暴なことばかりしていました。 最初のうち、天照大神は、乱暴な須佐之男命のことをかばっていましたが、ある日、須佐之男命が機織場の屋根を壊し、そこから皮を剥いで血まみれになった馬を投げ込みました。機織女はびっくりして逃げ惑い、そのはずみに、梭で下腹を突いて死んでしまいました。天照大神は、須佐之男命のあまりの乱暴さに嫌気がさして、天の岩屋という石室に入り、入口の岩戸をぴったり閉めて、こもりっきりになってしまいました。 すると、天上界も下界も、一度に真っ暗になって、昼夜の区別の無い、闇の世界になってしまいました。そして、その闇につけこんで、悪い神々が騒ぎ出し、世界中にいろいろな災いが広がってきました。 天上界にいるたくさんの神々はとても困って、安の河原というところに集まり、天照大神に岩屋から出てもらう方法について、いろいろ相談しました。そこで、思金神という賢い神がいろいろな案を出し、その指図でいろいろな神々が準備に取り掛かりました。 まず、国中からにわとりをたくさん集めてきて、岩屋の前で鳴かせ続けました。 それから、安の河原の川上にあった堅い岩と天の金山の鉄を使って、八咫の鏡(やたのかがみ)という素晴らしい鏡を作らせ、また、八尺瓊の勾玉(やさかにのまがたま)という素晴らしい曲玉の胸飾りを作らせました。また、天の香具山の雄鹿の肩骨を抜き取り、天の香具・Rの桜の木を取り、その桜の木で鹿の骨を焼いて占いをさせました。 そして、天の香具山から榊を根ごと掘り起こしてきて、上の枝に八尺瓊の勾玉を、中ほどの枝に八咫の鏡を、下の枝には白と青の布を取り付けました。そして、布刀玉命という神にその榊を持って天の岩屋の前に立たせ、天兒屋命という神に一生懸命に祝詞をあげました。 天手力男命という力の強い神を岩屋の陰に隠れさせ、それから、天細女命という女神に、天の香具山の日蔭のかづらをたすきにかけさせ、まさきのかづらを髪飾りにさせ、天の香具山の笹の葉を手に持たせ、差鐸(さなぎ)の矛を持たせ、岩屋の前に桶を伏せて、その桶の上に上がって踊らせました。 庭火を焚いて周りを明るくし、にわとりも鳴かせながら、天細女命は、乳も下腹も大腿も丸出しにして、足をトントンと踏み鳴らしながら、神がかりをしたように踊り狂いました。すると、その様子があまりにも可笑しいので、周りにいたたくさんの神々が、一度にどっとふき出して、笑い転げました。 天照大神は、その大騒ぎの声を聞いて、何事が起こったのかと思い、岩屋の戸を少しだけ開けて、そっとのぞきました。そして、天細女命に、「私がこの岩屋の中に隠れていれば、世界は真っ暗なはずなのに、何を面白がって踊っているの?それに、他の神々も、どうしてあんなに笑い転げているの?」と聞きました。 すると、天細女命は、「あなたよりもっと貴い神が現れたので、皆、喜んで騒いでいるのです!」と答えました。同時に、天兒屋命や布刀玉命などの神が、八咫の鏡を付けた榊を天照大神の前に差し出すと、鏡に天照大神の顔が写りました。天照大神は、「あれ、これは誰なんだろう?」と言って、もう少しよく見ようと、岩戸の外へ少し出てきました。 そこで、岩屋のそばに隠れて待ち構えていた天手力男命が、天照大神の手を引っ張って、すっかり外に連れ出してしまいました。そして、布刀玉命が、「もう、これからは岩屋の中に入らないで下さい」と言って、岩戸を閉め、そこに注連縄を張り渡してしまいました。 世界中は、長い夜があけて、再び明るい世界に戻り、神々は、やっと安心しました。 そして、神々は皆で相談して、須佐之男命は、あまりにひどい乱暴をした罰として、たくさんの贖罪の品物・科し、立派な髭と手足の爪を剥ぎ取って、下界へ追い出すことにしました。 ◆ 神楽歌の歌詞、舞人と採り物、場面説明 資料によって神楽歌の歌詞に微妙に違う部分がある場合は、上記のうち、寛政9年(1797)9月に鏡味貞徳が書いた熱田太々神楽御唱楽歌を基準にしました。ただ、くずし文字や借用文字が判読できない部分もあり、完全ではないかもしれません。この御唱楽歌には、息継ぎのための区切りと思われる小さな○印がついているので、行の切れ目はそれに従いました。 また、神楽歌の歌詞は、天の岩戸の物語の場面を順に追って表現しており、舞や取り物も、それに関連したものとなっています。舞人と採り物は、張州雑志と神楽研究(西角井正慶著)をベースにしました。 1.鳥居舞
2.木綿志手舞
3.矛の舞
4.日蔭舞
5.かづら舞
6.鈴竹舞
7.火処舞
8.まふね舞
9.神かがり
10.笑楽
11.ほそめ舞
12.おもしろ舞
13.志免縄舞
以上、13の神楽歌と舞で、熱田の太々神楽はお終いですが、常滑の太々神楽では、最初の鳥居舞の前に「奉幣」、最後の志免縄舞の後に「湯笹」の神楽歌・舞があります。上記の神楽歌と異なり、五七五七七のきちんとした短歌形式になっています。後から追加されたものと思われますが、以下に挙げておきます。 奉幣
湯笹
◆ 資料による、舞人・取り物・衣装の違い
笠寺は、熱田神楽の由来沿革と太々神楽の起源及び曲譜舞振り(荒川鋭雄書、昭和44年4月)に従い、記載の無いものは、他の笠寺文献を参考にしました。但し、寛政9年資料の舞人・取物の記載は、本文と字体が異なっており、後世の書き込みと思われます。 昭和10年は、このページ最初の資料2、関三郎は資料3、鋭雄は資料4、を表しています。 張州雑志・西角井本などの古いものは、式正舞の記載が無く、もともとは無かったように思われます。ただ、寛政9年資料を含め、笠寺の古い資料にも式正舞は書いてありませんが、いずれも神楽歌のみの資料なので、式正の有無に関しては不明です。 常滑の奉幣・湯笹・常盤も、後になって付け加えられたものと思われますが、常盤には神楽歌がありません。資料では、常滑は湯笹でお終いで、常盤はそのあとにアンコールに答えて舞うような性格のものだそうです。 ◆ 神楽歌(神楽舞)の曲順及び名称 江戸時代は、きちんと天の岩戸物語のストーリーの流れに沿って、全曲が演奏されていたと思われますが、明治以後は、非常に簡略化されたものだけになってしまったようです。多くのところでは、一度廃絶してしまって、後に復興しています。 そのせいか、現在行われている太々神楽は、ストーリーの流れを全く無視して、単に演出上の理由から曲の順を決めているように思われます。神楽歌は、歌っていても、その内容は誰も聞いていないということでしょう。 神かがリは、笠寺関係では最初の方に行われますが、これは四方拝を意味していると思います。もともとは巫女の舞だったようですが、現在の笠寺関係では男舞になっており、意味付けが変わってきたのでしょう。 緑の数字は、ストーリーの流れにきちんと沿っている張州雑志などの順番を基本番号として、どういう順番になっているかを表示しています。0はそれに含まれていないものです。 張州雑志 1.鳥居舞の歌、2.木綿志手の歌、3.矛の歌、4.日蔭歌、5.加津羅歌、6.鈴竹歌、7.火処の歌、 8.馬船歌、9.顕神明憑談歌、10.宴楽の歌、11.細目の歌、12.面白歌、13.注連縄の歌 熱田太々御唱楽歌 (昭和10年11月) 1.神かがり、2.鳥居舞、3.ほそ免舞、4.矛の舞、5.可津羅舞、6、木綿志手舞、7.日蔭舞、8.火処舞、 9.おもしろ舞、10.まふね舞、11志免縄 9−1−11−3−5−2−4−7−12−8−13 の順 熱田太々御唱楽歌 (荒川関三郎氏のもの、おそらく戦後のもの) 1.神かがり、2.火処舞、3.木綿志手舞、4.おもしろ舞、5.ほそめ舞、6.鳥居舞、7.矛の舞、 8.日蔭舞、9.すず竹、10.まふね、11.笑ふ楽、12.かづら舞、13.志免縄 9−7−2−12−11−1−3−4−6−8−10−5−13 の順 現在の氷上姉子神社 1.式正、2.神かがり、3.かずらの舞、4.矛の舞、5.ほそめの舞、6.笑楽、7.式正 0−9−5−3−11−10−0 の順 護山神社 1.式正、2.榊の舞、3.鈴の舞、4.扇の舞、5.式正 0−5−6−12−0 の順 真清田神社 《神楽始祭》1.七五三舞、2.鳥居舞、3.火所舞、4.木綿四手舞、5.日蔭舞、6.馬槽舞、7.面白舞 《秋の太々神楽》1.七五三舞、2.神懸舞、3.恵楽舞、4.桂舞、5.矛舞、6.細目舞、7.鈴竹舞 13−1−7−2−4−8−12 の順 13−9−10−5−3−11−6 の順 常滑の太々神楽の文献 1.式正、2.奉幣、3.鳥居、4.木綿垂、5.矛、6.日蔭、7.葛、8.鈴竹、9.火処 10.真船、11.神かゝり、12.笑楽、13.細目、14.面白、15.志米、16.湯笹、17.常盤 最初と最後に2つずつ追加された形 常滑市榎戸の神明社で、現在行われているもの 1.式正、2.奉幣、3.金銀、4.湯タスキ、5.黒面、6.榊竹、7.鈴、8.扇、9.銚子、10.面白、 11.志米、12.湯笹、13.常盤 0−0−2−4−3−5−6−10−11−12−13−0−0 の順 常滑市宮下の神明社と、常滑市小鈴谷の白山社で、現在行われているもの 1.式正、2.奉幣、3.葛、4.黒面、5.細目、6.面白、7.湯笹、8.志米、9.常盤 0−0−5−3−11−12−0−13−0 の順 |
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