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この曲は、亀崎・知立以外では吹かれていないようで、多分、神楽以外の俗謡系の曲を誰かが神楽に取り入れたのではないかと思われます。
理由としては、まず、5行目のフレーズが12拍(6間)と極端に短く、宮流神楽のリズムにうまく合わせられないです。このようなことは、松風を除いた他の曲では見られませんし、松風も、本来の宮流神楽以外のところから取り入れられたものだと考えられています。
もうひとつは、2番の最後の部分です。通常の宮流神楽の曲は、2番の最後は1番よりも2拍早く切り上げて結びのフレーズに入ってゆきますが、この富佐と松風の2曲だけは、2番も1番と同じ最後まで吹いてから結びのフレーズに入ってゆきます。この点も、通常の曲と違っています。
ただ、何から取り入れたかに関しては、何も情報はありません。
なお、亀崎では富佐、知立(幸村元一氏)では冨佐と、富の字の上に点があるか無いかの微妙な違いがありますが、たいした問題ではなさそうです。
また、この富佐と、亀崎の出来町(知立の岡山)は、曲の頭の2小節ぐらいがまったく同じで演奏上まぎらわしいのですが、その後の部分を見ると、あまり関係があるようには思われません。 |