宮流神楽 曲の解説  前の曲へ 次の曲へ 上のページへ トップページへ
浦坂 / 棒専囃子

いろいろな呼び名
浦坂 --- 亀崎(現在版、間瀬版)
棒専囃子 --- 笠寺

音源
演奏音源: 浦坂 太鼓伴奏音源: 浦坂

解説
御神能のページ周衛のページにも書きましたが、御神能・周衛・浦坂・古浦坂の4曲は互いに関連性のある兄弟曲です。山車囃子の出来町「河水車」の帰り囃子がもともとの曲で、それを神楽に取り入れた曲が御神能です。御神能のもととなった曲が最初の段階で作り出され、それがまず各地に広まったのでしょう。その御神能から大府の笹波(=亀崎の古浦坂)に相当する曲が派生し、そこからさらに周衛のもととなる曲が派生して行ったと思われます。そして、比較的最近になって、大府の笹波が亀崎に伝わって古浦坂と呼ばれるようになったという構図でしょう。

では、浦坂はどの段階から派生してきた曲なのでしょうか。
まず、帰り囃子は全部で5行ありますが、2行目3行目は最初がちょっと違うだけでほとんど同じで、その2行目をカットしたものが御神能(たぶん幸村元一氏の出来町という呼び名が本来でしょうが)でしょう。周衛・古浦坂は、この御神能を2回くり返す形で編曲さて、ひとつの曲となっています。それに対し、浦坂は、1行目と2行目が御神能の2行目に相当し、浦坂の3・4行目が御神能の3・4行目に相当することは確かです。しかし、浦坂の5・6行目はそれに相当するフレーズは見つからず、御神能を2回くり返しているとも思えません。

そのあたりから考えて、浦坂は古浦坂や周衛から派生したのではなく、河水車帰り囃子か御神能のあたりから直接派生しのではないかと想像しています。音源を担当してくれた早川くんの意見では、この浦坂の5〜6行目は同じ河水車の人形囃子の最初の部分(出羽)ではないかということです。そうだとすれば、浦坂は御神能とは別ルートで編曲し伝えられたものである可能性もありますし、さらに言えば、浦坂が先に出来てそこから御神能の元となる曲が派生したという大胆な仮説も否定はできません。
また、浦坂の1・2行目は、御神能と違って帰り囃子の2・3行目なのかもしれません。尾張の山車祭りというサイトの中の尾張の山車囃子のページには、帰り囃子も人形囃子も音源がありますので、聴いてみてください。

文献(半田市誌)では、「亀崎の浦坂=笠寺の棒専囃子」という記載がありますが、現在、笠寺ではこの棒専囃子は吹かれておらず、私も棒専囃子のメロディはわかりません。この浦坂と兄弟曲である御神能は、志段味ではぼんてんばやしと呼ばれていますが、笠寺の棒専囃子という曲名と、言葉の類似性があるように思われます。

また、文献(半田市誌)では、「亀崎の周衛若山・浦坂の3曲は、その昔、町内の若い衆が名古屋へ神楽の手伝いに行った時に覚えて帰ってきて広まったものだ」という言い伝えが亀崎にはあるようです。

ちょっと聴いただけだと、御神能・周衛と浦坂・古浦坂の2種類に分けられる感じがしますが、これは3行目の前半が、御神能は22 33 44 3−、周衛22 22 33 2−と上がってから下がるのに対し、浦坂・古浦坂は22 33 44 67と上がりきってしまうのが特徴的だからだと思われます。ちなみに、帰り囃子は22 33 44 43です。浦坂・古浦坂が上がりきってしまうのは、亀崎・大府の神明崩しの高音部の後のフレーズを連想しているからかもしれません。ただし、笠寺では、神明の裏の同じ場所は22 33 44 3レと下がってからハネます。


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