宮流神楽 曲の解説  前の曲へ 次の曲へ 上のページへ トップページへ
神明 / 神明神楽

いろいろな呼び名
神明 --- 亀崎(現在版、間瀬版)、知立(幸村版)、春日井(上八田)、日進(浅田)、比良(河北、河南)
神明神楽 --- 大府(北崎版、横根版)、笠寺、中根、高針郷

音源
演奏音源: 神明神明神楽
            / 神明神楽(中助あり)
練習音源: 神明神明神楽
               / 神明神楽(中助あり)

楽譜
宮流系: 宮流神楽練習用楽譜 熱田系: 熱田神楽練習用楽譜

解説
笠寺資料では、神明神楽について「熱田八丁畷の中央が伊勢大神宮の真北に当たるので、皇太神宮を祭り、永禄天正時代から、虫害・風水害除けの祈願祭を行った。この時使用したと言われる」と書いてあります。皇太神宮は天照大神のことで、伊勢神宮を総本社とする神明社の主祭神です。八丁畷は山崎橋から裁断橋までの距離が八丁だったことから付いた名前で、その中央というと神明社(新熱田橋のたもとで東海道と知多街道との分岐点)か浜神明社(名古屋市瑞穂区塩入町、天正17年(1589)創建)ぐらいを指しているのでしょうか。(ただし、このあたりは伊勢大神宮の真北では全然ありませんが・・・)
天照大神は農耕の神様でもあるので、虫害・風水害除けの祈願祭がそこで行われてもおかしくありませんし、神明神楽がその時に演奏されたかもしれません。もちろん、神明神楽の曲そのものの成立に関して、その祈願祭が関係しているのかは全く不明ですが、「神明」という曲名は、神明社あるいは神明信仰と何らかの関連がありそうです。

神明は曲の形式がきちんと整った比較的長い曲で、明らかに誰かが作曲したものと思われます。まず基本的に、A(7行)+B(5行)+C(4行)+A(7行) の4つの部分からなり、最初と最後の部分は全く同じです。Aの後ろ3行とBの後ろ3行も同じフレーズで、Cの部分はそれ以外と全く違った感じの高音の続くフレーズになっています。つまり、全体の構成は起承転結の形式、西洋音楽的に言えばA−A’−B−Aの二部形式になっています。

笠寺・中根・高針郷では、このA+B+C+Aの後ろに中助と呼ばれるD(6行)+E(5行)がくっ付いています。ただ、この中助(D+E)は神明崩し(神明神楽のの裏)の高音部以降の部分と全く同じで、EはBと最初の1小節が違うだけで、ほほBと同じものです。つまり、(A+B+C+A)+(D+B)ということになります。(A+B+C)+(A+D+B)という構成ではないかという意見もありますが、Dの部分の最初の方は間奏的な雰囲気なので、私はあくまで中助は追加部分だと考えています。
ただ、この中助まで全部吹くと5分以上かかるし、覚えるのも大変なので、最近は笠寺でも中助は省略することが多いようです。亀崎・大府・知立では、最初からこの中助の部分は伝わっていません。

また、中助のDの部分は亀崎の古浦坂や御神能の2〜4行目ととよく似ており、関連性がありそうに思われます。私の想像では、まず最初にA+B+C+Aの神明神楽を誰かが作曲し、その後、誰かがどこか別の曲から持ってきて編曲したDの部分に最後のBの部分をくっつけた中助を追加、しかし、どうも長すぎるので中助部分を完全に分離して別の曲とし、中助の前に少しフレーズを追加して曲の形式を整えたのが神明崩し(神明神楽の裏)ではないかということです。亀崎・知立・大府の神明は、神明神楽の裏も伝わっているわけですから、神明が2つに分離してから伝わったのではないでしょうか。

亀崎には、東組(宮本車)・石橋組(青龍車)・中切組(力神車)・田中組(神楽車)・西組(花王車)の5つの組があり、それぞれ特定の宮流神楽の曲と深い関係があります。このうち、西組が神明神楽で、花王車の打ち囃子も神明神楽を編曲したものとなっています。

知立では、普通に吹くときは最後まで全部吹きますが、巫女舞のバックで吹くときだけは高音部の前(つまりA+B)まででお終いにしてしまいます。これは、全部吹くと長すぎて巫女さんが疲れるので短くしているだけのことです。


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