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この曲は、亀崎の現在版には載っているが間瀬版には載っておらず、最近になって取り入れられたものと思われます。亀崎の現在版楽譜には、「曲名不明で古浦坂は仮の名前である」と記載されているところをみると、この曲は大府から伝わった可能性が高く、本来、笹波と呼ぶのが正しいと思われます。
大府には曲名不明の3という御神能に相当する曲がありますが、その曲が出来町河水車の帰り囃子から派生していると思われることは、御神能のページに書きました。大府の笹波は、その曲名不明の3を2回繰り返す変奏曲のような形式になっています。
大府の笹波の1〜4行名は曲名不明の3と全く同じであり、笹波の5〜6行目部分は、間奏のようなアレンジになっていますが、その後の7〜8行目は、曲名不明の3〜4行目と全く同じです。
周衛は、この古浦坂(つまり笹波)から派生したものと思われ、周衛の2〜5行目は、古浦坂の1〜4行目とほぼ同じです。周衛の6行目は古浦坂の5〜6行目を1行に縮めたもので、周衛の7〜8行目は古浦坂の7〜8行目と同じです。ただ、周衛は大府には伝わっておらず、幸村元一氏が周衛(洲恵)を吹いているところをみると、古浦坂と周衛は名古屋の段階で両方ともすでに成立していて、その後、各地に広まったものと思われます。
このように、亀崎系の御神能・周衛・浦坂・古浦坂の4つの曲は、兄弟曲と言って良いでしょう。
笹波(大府横根版では笹浪)に関してですが、
万葉の時代には琵琶湖の西南部一帯の古名をササナミを呼び、その漢字に神楽声浪や神楽浪を当てていました。また、「ささなみの」は、近江・大津・志賀・なみ・寄る・夜などの言葉にかかる枕詞でもあります。笹波の語源は、それと何らかの関連があるのかもしれません。 古事記などでは、神楽の囃し言葉で「ささ」というのがあり、ササという発音に「神楽声」の漢字を当てるのは、万葉仮名の擬音語の例とされています。万葉集でも、以下の歌のように使われています。
神楽声浪乃 四賀津之浦能 船乗尓 乗西意 常不所忘 (七・1398)
神楽浪之 志賀左射礼浪 敷布尓 常丹跡君之 所念有計類 (二・206) |