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宮流神楽・お囃子・太太神楽の曲名リスト |
笠寺を中心とした名古屋南部では、戦災で山車がすべて焼失してしまったため、現在では、人・曲ともに、神楽・お囃子・山車囃子が混在した状況になっています。一方、亀崎や知立のように山車が健在で、祭りも山車を中心にやっているところでは、神楽と山車囃子は、人・曲ともにある程度分離した状況のようです。また、亀崎・知立では文楽系のものもあり、亀崎は夏祭りの曲(これも数十曲あるらしい)もあるようです。 すべてを網羅することは私の能力を超えていますので、巫女神楽(狭義の宮流神楽)を中心に、笠寺系のお囃子と太太神楽を付け加えて書いてあります。 検討した地域 亀崎(現在の楽譜)、亀崎(間瀬版)、知立(幸村版)、大府北崎町(長谷川佐一笛、中川三十昭編)、大府横根町(長谷川佐一笛、大島孫作編)の5つの楽譜。笠寺、星宮、鳴海表方、鳴海裏方、大高新町、大高川向町、有松西町、中根、高針郷、尾張太鼓、中志段味、梅森、朝田、春日井上八田の各地区です。 曲名リストのExcelファイルは、こちらです。 −> list.xls |
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◆ 巫女神楽 (狭義の宮流神楽) 巫女舞の曲ですので、舞の開始と終了のポイントが巫女にちゃんと伝わるように、一曲の演奏の中に、一定の出の部分と、曲の本体と、一定の結びの部分が存在しています。 出の部分は多くの場合高音で終わり、その直後、太鼓が始まると同時に巫女が立ち上がって舞を始めます。結びの部分は、4の指使いが連続して出現し、それによって曲が1音下に転調するので、巫女は曲の終了に気付き、舞は終了パターンに入って行きます。 亀崎・知立では巫女舞が残っているので、巫女舞が・ウくて神楽だけの演奏でも、ちゃんと出の部分から演奏します。しかし、笠寺系など巫女舞が無くなってしまった地域では、出の部分は吹かずに、いきなり笛が曲の本体に入り、太鼓が後からついて行くことも多いようです。 亀崎と笠寺の神楽について まず、曲数の多い亀崎と笠寺の対応表を出してみます。これは、現在、演奏されているもののリストです。笠寺の曲の中で、「」で囲まれているものは、神楽ではなくお囃子として演奏されているもの、()で囲まれているものは、文献などで昔は演奏されていたことがわかっているが、現在は演奏されていないものです。 曲名をクリックすると、詳細な解説ページへ移動します。なお、番号は単なる私の整理番号で、特に意味はありません。
亀崎の神楽について 上記の曲名リストは、亀崎の神楽保存会が発行している楽譜によったものです。上記の曲名リストの順番はこの楽譜集を基準にしてありますが、松風と神納の順番は逆です。この楽譜の発行年月は不明ですが、平成15年に発行された潮干祭りのCDについての記載があり、私が入・閧オたのが平成17年ですので、その間に発行されたものと思われます。 昭和44年に亀崎で発行された宮流神楽楽譜(間瀬版)には、松風から権兵衛までの5曲は載っておらず、これら5曲は、それ以降に亀崎で吹かれるようになったものと思われます。松風だけ順番が神納の前になっているのは、松風が取り入れられた時期が、他のものよりずっと古いということなのかもしれません。 松風は、知立の幸村元一氏の楽譜(昭和56年発行)から取り入れたもの、十日恵比寿は名古屋南部で広く演奏されているお囃子(全国的な広がりを持つ俗謡系のお囃子)で、それを宮流神楽のリズムに合うように編曲したものと思われます。古浦坂は大府の笹波、神おろしも大府のものを取り入れたものと思われます。権兵衛はよくわかりませんが、名古屋を中心に広く普及している七間町と非常によく似ています。 このように、亀崎では、他地区の神楽・お囃子・俗謡などを宮流神楽のリズムに合うようにアレンジして取り込んでおり、そのために曲数が増えている部分もあるようです。 花神楽は、牡丹の曲に、そのバリエーションを2つ付けで3つの変奏曲にしたもので、実際には、牡丹と同じ曲と考えて良いと思います。 笠寺の神楽について 熱田神楽笠寺保存会は、基本的に楽譜は使わないようです。唱歌だけの譜は存在するらしいですが、あまり使われず、指附け数字がわかるものは無いということです。 上記のリスト以外に、十日恵比寿は笠寺でもよく演奏されますが、出しと結びのある巫女神楽形式ではなく、完全にお囃子なので、リストには入れませんでした。十日恵比寿は本来俗謡系のお囃子で、笠寺のものの方が本来のものに近いと思われます。また、亀崎の新車表は、笠寺の有松(早目)と同じで、やはりこれもお囃子の曲ですが、どちらが先だったのかはわかりません。 文献(半田市誌/祭礼民俗編/P209/1984年)によれば、他に笠寺には、 津島囃子 (=亀崎の周衛) 棒専囃子 (=亀崎の浦坂) 津島下り (=亀崎の津島下がり) 新車くずし (=亀崎の若山) という曲があったということになっていますが、津島囃子と棒専囃子に関しては、現在の笠寺保存会では吹かれていません。また、津島下がりと・「う曲は笠寺保存会にもあるのですが、それはまったく別の曲で、亀崎の津島下がりと同じような曲は吹かれていません。 笠寺には新車という曲があり、これは亀崎の新車とはまったく違う曲で、瑞穂区の津賀田神社に山車があった頃、津賀田神社で山車や道中に使われた曲です。笠寺の新車は、最初に起承転結の3部形式をとる曲の大きな部分があり、その後、矢車の一部が続き、最後にもう一区切りの曲が続いて終わるのですが、この最後の部分は、亀崎の若山とほとんど同じです。 笠寺の新車の最後の部分は、よく聞いてみると太鼓も宮流神楽のリズムになっており(大太鼓が多く、打ち方も違いますが、リズムは宮流系です)、昔は、新車くずしとか言って、宮流神楽の太鼓に合せて、独立して吹かれていたことがあったのかもしれません。 笠寺保存会で、現在、「お猿囃子」と「天狗囃子」と呼ばれている2曲は、どうも昔とは逆になっているようです。 荒川関三郎氏の直接の弟子である石川来民造氏も、亀崎の牡丹と同じものを「お猿囃子」、亀崎の稲荷と同じものを「天狗囃子」と呼んでいるようですし、文献(半田市誌/祭礼民俗編/P209/1984年)にも、そのように記載されています。浜野司氏の代で、なぜかさかさまになってしまったようですが、笠寺保存会および関連した保存会のメンバーは皆、上記リストのように呼んでいるので、もう元には戻らないようです。 笠寺資料では、「お猿囃子」と「天狗囃子」の2つをまとめて、天狗囃子の表と裏と記載しており、どちらが表でどちらが裏だったのかは不明ですが、そのあたりで混乱が生じたのかもしれません。 亀崎・知立・大府の楽譜と笠寺の比較 知立というのは幸村版のことで、知立宮流神楽保存会の指導は、現在は、幸村元一氏から亀崎出身の安東文雄・安東和雄氏に移っています。ですから、現在の知立では、亀崎の曲はすべて知立でも演奏されています。 大府の2つの楽譜に関しては、私は楽譜を持っているだけで(長谷川佐一氏の演奏テープはありますが)、現状のことはよくわかっていません。 知立・大府は、笠寺よりは亀崎とグループが近い印象があるので、これらを比較してみました。
以下、準備中 |
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